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満を持して、まちラボLIBRARY新入荷!

2020.11.09

「まちづくり」

この言葉の意味、皆さんどのようにお考えでしょうか?
まちづくりにもいろんな形や分野があるので、一概にコレ!と説明し難い言葉だと思います。ただ何となく共通していると感じているのは、初めからまちづくりとして仕向けるというより、一見するとまちに全然関係がないことが結果としてまちづくりになったりするものの方が健全だという事。予定調和なんかではなく、自然発生的な。そもそも、まちっていろんな形から成り立っているので、まちづくりという言葉を定義すること自体がナンセンスなのかもしれません。
でもこれだけは言えます。「まちとは、ひとがつくるもの」。
逆に言うと、ひとをモロに反映するのが、まち。
例えば、思考停止している人がつくったまちは思考停止しているし、豊かな人がつくったまちは豊かなまちになります。

想像してみて下さい。
イヤイヤながらやった仕事が積もり積もっててできたまちが、果たして豊かなまちと言えるでしょうか?
響きは悪いのですが、やりたくない無理な事はしない方がいいと思うのです。シンプルに。本質は案外、響きが良いコトバより響きが悪い方が的を得ていたりするものです。

無理なことはしない方が良い。でも自分がやりたい無理はした方が良いと思います。でも思考停止している人は、根性論からどんな無理でも正しいと思い込んでいたりします。自分ができない無理を、それをできる人に「任せる」という選択肢がないのです。そしていよいよ自分の手に負えなくなり、無理が無理な人を巻き込むという負のスパイラルに誘う。よく「担い手」という言葉が使われますが、どちらかと言えばこのニュアンス。そんな事だから「担い手」は不足するという、自然の摂理です。

時は常に流れています。コロナの時代にもなってしまいました。
今まであった形に何も考えず合わせるというチェーン店のような思考停止は危険です。残念ながら「まちづくりの仕事をしている」と称している人の中にも、そのような思考停止している人も見かけます。そんな人に限って、響きの良い事をやたらと言います。響きの良い事を言うのは決して悪いことではありませんが、問題なのは光しか観ようとしていないという点です。闇とは向き合っていないのです。まちづくりのみならず、おそらく「観光」の概念も履き違えているでしょう。またご多分に漏れず、愛がありません。ロマンがありません。つまり一緒に仕事をしても何も生まれません。

実はやりたい無理というものの正体こそ、愛だとも思っています。
チェーン店ばかりのまちに魅力がないのは、やりたくない無理に疑問を感じない現象というように分解されるような気がします。
まちとは、やりたい事、もっと言えばやりたい無理の集合であって欲しい。
まちって予定不調和な愛の塊ですから。

長くなりましたが、そういった事情から私の好きな西村佳哲さんの本を多めに入荷しました。ここを言いたかったのです。西村さんは元々建築設計の仕事をされていた方です。特に建築に携わる人は素材を考えたりする機会が多いので、ものの本質を見抜くのに長けているのでは…と、かねてから感じていました。
建築って、ひとと色々共通していますし。

豊かなひとをつくるのが今月のテーマ。
まちをつくる以前に、建築で言うところの基礎となる部分です。表層的ではありませんが、これがないと成り立たないという、そんな本たちを初の新入荷としてまちラボに迎えさせていただきました。

豊かなまちを生み出すような愛すべき変態という、一緒に仕事をしたいひとが結果として増えるといいなぁと切に願っています。
すなわち、まちラボ的な「まちづくり」。